傘とおもてなしの心♪

先日首都圏を襲った雪の日、私はお昼近くから打ち合わせが入っていた。

おつきあいの長いクライアントなら事情を話して後日…ということも考えられたが、私が主宰するアンジェロ・ブレーンにとって新規のお客様だったので覚悟を決めて横なぐりの雪の中、出かけた。

打ち合わせは無事に終わり、帰る頃には雪ではなく、雨に変わっていてホッとしたのだが、ご挨拶をして帰ろうとした時、ちょっと驚いた。若い女性スタッフが私にコートを着せかけてくれたのみならず、サッと私の傘を広げ、私が濡れることなく、外に出られるようにして見送ってくれたのだ♪

社員教育が行き届いていると言ったらそれまでだが、心温まるおもてなしだった(^_^)v

傘をめぐるおもてなしではこんなエピソードを倫理法人会リーフレットで読んだことがある。ある個人経営の小さなスーパーの話なのだが、そこのオーナーは「人の弱みにつけこむ商売はしたくない」という強い経営理念があり、雨が降ると店の入り口に傘を用意し、「ご自由にどうぞ。ついでの時にお返しください」と貼り紙をして傘を貸してくれるのだという。勿論、お客もオーナーの思いに感謝してきちんと傘を返しに来て喜んで買い物をしていく…

本当のおもてなしとは何か、人に喜ばれる仕事とは何か、改めて考えさせられる。

面接の夢と…

今朝は久しぶりに悪夢で目が覚めた(涙)

いくぶん若くなった?私がテレビかラジオの番組のアシスタントの面接を受けているのだ!! 私一人に対し、面接官が十人近くというかなり威圧感を感じるシチュエーションである。

しかも、そのうちの数人は明らかに私ではなく、他に本命がいるようで私の話には興味がない様子…(涙)いわゆる出来レースで今の言葉で言えばガチでないのでは…と段々わかり始めると夢の中の私は過呼吸かパニック症候群のように息苦しくなり、周りが真っ白になりかけた時、目が覚めた。

当然、脂汗と激しい息遣いで本当に死んじゃうんじゃないかと思った(涙)

夢には解明されていない部分が多いらしいが、一説には「夢は内臓の疲れ」とも呼ぶそうだ。だとすると、暴飲暴食のツケが回ってきたとも言えそうだ(汗)

それはさておき、面接で思い出したのが学生時代に家庭教師で指導していたある女の子のことだ。いわゆるお嬢様学校をお受験することになったのだが、家庭環境が複雑なこともあり、面接のある学校は避けた方が無難ということになった。しかし、志望校に次々落ちてしまい、面接のあるキリスト系の学校を残すのみとなった。

しかも、緊張からか、想定問題集では「言ってはならない、評価が低い」とされる答えを連発してしまったらしい。本人をはじめ周囲は諦めモードだったが詳しく生徒から話を聞いた私は「もしかしたら受かるんじゃないか」と思った。それは緊張しながらも彼女が試験官を実によく観察しており「ほとんど話を聞いていない試験官もいた」と言ったからだ。

その試験官は彼女の合格には懐疑的だったかもしれないが、それを何となく感じ取りながらも一生懸命に面接をうけた生徒を評価してくれる試験官もいたに違いない。結局、彼女は無事その学校に受かり、既に社会人として海外を飛び回っている。

悪夢のおかげで久しぶりに思い出した

女子会♪

書くのが遅くなってしまったが、先日、時折雪が舞う中、行きつけの池袋のイタリアン、ル・ヴァンティで女子会を敢行した(汗)

私の誕生パーティーもここで開いてもらっているくらいで何度となく書いたことがあるが、家族経営のこじんまりとしたお店で決して派手さはないが、リーズナブルで気にいっている。

そんな話をしたところ、まだ行ったことがない友人が行きたいと言い出し、今回の女子会となった♪しかもメンバーは全て同い年!! 生まれも育ちも仕事も全く違うが、働く女同士、和気あいあい、ガールズトークで大いに盛り上がった(汗)

当初は男性にも声をかけたのだが、日程の調整がつかず女子会となったことを後で考えれば良かったと思う。正直に言うと私はこれまで女子会がどちらかというと苦手だった。落語会を中心としたイベント業という仕事柄、いつも男性に囲まれているからかもしれないし、酒飲みなのでお上品な女子会は窮屈に思ってしまうのかもしれない。

しかし、今回は同級生ばかりで共通の話題が多かったし、私同様辛党もいたので実に居心地が良かった♪私のこのお店での「マスト(必ず食べたいもの)」はラザニアなのでそれだけは譲れないが、他は友人達に任せたので普段はあまりオーダーしない料理も味わえ、大満足(^-^)v

結局、次回はペルシャ料理に行こうと話が盛り上がって解散♪女子会って楽しいかも、同級生っていいなと思った夜だった!

バレンタインの苦い思い出

今年もすったもんだのうちにバレンタインが過ぎた。毎年、義理チョコの数が足りなくなり、慌てて当日に買いに行ったり、あげていない人からホワイトデーに食事をご馳走になったり…とドタバタには事欠かないが私にとってバレンタインは一言、怖い思い出に尽きる!!

というのははるか昔、学生時代にさかのぼるが、いわれなく罵倒されたから!!

当時、家庭教師のバイトをしていた私はバレンタインの当日、たまたま男子高校生の指導日だった。チョコレートよりクッキーが好きなことは知っていたので数日前妹が焼いたクッキーをちょろまかし、持って行った(汗)

車で通っていたのだが、その近くになると若い女性の大群で全く身動きがとれない。仕方なく、そのお宅の親戚筋にあたるという家の庭に事情を話して車を置かせてもらい、電話を借りた。携帯のない時代である(涙)

電話には本人が出た。「もしもし○○君!?ファンが多すぎてお宅に近づけないんだけど…」

そう、私の生徒は甲子園球児で当時人気絶頂だったのだ!!

私はあわよくばその日はお休みにしたいと考えていたのだが、本人自ら迎えに来るという。はぁ!?というのが私の正直な感想だった。

案の定、生徒に手を引っ張られ、ファンの間をかきわけるうちに罵詈雑言の嵐!!「ブス」「デブ」(名誉の為に書くが学生時代の私は決して太っていなかった!!)をはじめ、やれ年増だ、云々かんぬん… 石を投げつけられるかもしれないという殺気さえ感じた。

帰りもまた同じ目にあい、逃げ帰るように車に向かったのを今でもはっきりと覚えている。

「とりあえず先生には特別…」と言ってもらったホワイトデーのお返しがちっとも嬉しくなかったのは言うまでもない!!

風邪のやりきれない話

エスカレーターで転倒した後、風邪をひき、踏んだり蹴ったりだったのだが、その風邪も私が面倒がらずに行動すればひどくすることはなかった。ま、結果論であるが…(涙)

くしゃみが止まらない上に悪寒が数日続き、風邪かなぁと思った時、痛めた腰のせいもあり、仕事が遅れており、私は時間が惜しかった。

そこで昼休みなしで診察している病院を近くの調剤薬局で聞き、初めての病院へ行った。風邪やインフルエンザが流行っているはずなのに待合室にはそれとは関係なさそうなお年寄りばかり…ちょっと嫌な予感がしたが、受付の女性はわりと丁寧だったし、おとなしく順番を待った。

さほど待たずに私の番が来て診察室へ…医師は若い男性、看護師は年配の女性…よくあるコンビネーションかもしれないが、この二人はとにかくちぐはぐ!!

医師はやたら丁寧な言葉遣いだが私の顔をほとんど見ず、ずっとパソコンの画面を見つめている。看護師はひどく雑な言葉遣いの上、私をジロジロ(涙)

聴診器どころか、問診もそこそこに風邪か花粉症かわからないと告げられ、次回は採血をして重大な病気かどうか調べましょうとまで脅され、私は呆然として帰宅した。勿論、処方された薬は全く効かなかった(涙)

結局、数日後、痛む腰と微熱のまま、私は片道90分かけて祖母の代から通う医院に向かう羽目に…(涙)

スマホデビューと復活♪

先月末、遅まきながらスマホデビューを果たした♪

しかしながら、生来の機械音痴で全く使いこなせず、その間にパソコンまで調子が悪くなり、日々のあわただしさから放置してしまううちに、怪我とひどい風邪に見舞われて、心ならずもとうとうブログ更新が今日になってしまった(涙)

こんなに間が空いたことはこれまでなかったので沢山の方からご心配頂き、メッセージを頂戴しました。この場をかりて心よりお礼を申し上げると共にとりあえず私は元気になったことをお伝えしたい。

さて、友人、知人には冷笑されたが、あえて私のドジ話を(汗)

先日、冷たい雨の日、たまたま大手町周辺で時間が空いたので相田みつをミュージアムへ向かった♪経営者には多いが、私も熱烈な信奉者で、カレンダーをはじめ、家の至るところに相田みつを作品がある♪毎年年末には喪中葉書を頂くとミュージアムショップで売っているお線香をお贈りするほどである。

今回は長年愛用してきた日めくりカレンダーがぼろぼろになったので新調しようと向かったのだが、なんと東京国際フォーラムエスカレーターで転倒してしまったのだ(涙)

ボールペンを落とし、拾おうとしての事故だが、自分で立ち上がれないほど腰をうち、通りがかりの方に助けて頂いた。行きつけの骨盤矯正サロンの人には爆笑され、なんとも情けなかった(涙)

とにもかくにも復活!!

ほっておけない叔父とほっておけない姪の話2♪

そして、自分の手を離れてもベトナムに比べ、物価高の日本で苦学をしている人を見ると、ほっておけないのが叔父なのである。

その叔父から頼まれるとどんなに忙しくても「何とかしよう!」と頑張ってしまうのが姪である私…(^_^;)

叔父は私の母の妹の夫であり、直接血がつながっているわけではないのにつくづく「似た者同士」だと思う(^_^;)

さて、肝心のベトナム人留学生フォンさんは以前、豊橋の会社で3年ほど研修生として働いていたことがあり(日本の研修生制度の不備には敢えて触れない)簡単な日本語でのコミュニケーションには困らないらしい。
「ゆくゆくは建築を学んでベトナムへ帰りたいそうだ」という叔父の話を聞き「建築関係の会社でインターンシップができるといいな、住み込みならなおいいんだけど…心当たりを探してみよう!」と勝手に決めて、お土産を買い込み、叔父達の待つ地へと身体は重いけど心は軽く向かったのである!(^_^;)