食育という責任

筍で思い出したことがある。先日の朝日新聞の投書欄に経営していた和食店をこの度閉めることになった男性の投稿が載っていた。

読んだ方も多いとは思うが、私はその男性の無念さ、やりきれなさを行間からひしひしと感じた(ToT)
彼は木の芽について触れており、自分の店で木の芽を添えて出しても旬を愛でるどころか、初めから箸でよけてしまう人が増えたことを嘆いていた。見たこと、食べたことがなく、食べられない飾りと思い込むらしい(ToT)

本来、和食は四季折々の旬の食材に感謝しつつ、五感で味わいながら舌鼓をうつものだと思うのだが、対極にあるファストフードやファミリーレストランで育った世代にそれを求めるのは少し酷かもしれない。

その店主もそれがわかった上で、それでもこのままでは本当の和食の文化というものが失われてしまうのでは…と危機感を抱いていた。私も同感である!
小さな頃からの食育の大切さを再認識させられた!