ある女性への応援歌3

恵比寿での自主的?軟禁生活は結局、4ヵ月近く続いた。

食事は差し入ればかりだったのでレストラン情報では全く役に立たないが、恵比寿近辺の銭湯には詳しくなった(潰れてしまってるかもしれないけど(T_T)

というのは、今と違い、近くにスーパー銭湯日帰り温泉施設がなかったのだ(T_T)シェスパ松濤は勿論、確か、ラクーアもなかった気がする(ToT)

しかし、当時の着の身着のままに近い私からすると敷居が低く、人情味のある銭湯がよかったと思う。よく常連客の人に「負けちゃダメだよ、がんばんな」と励まされ、ジュースをおごって貰ったのを覚えている。

仕事が全て終わった日、雇主の先輩は私の予想以上の?仕事ぶりを評価してくれたのか「取締役のポストを用意するから残らないか?」と言ってくれた。
私の答えは「お願いですから私を可哀相と思ったら解放して下さい!」だった。それも泣きながら言ったそうで今でも会う度からかわれる